昭和46年03月26日 夜の御理解



 改めたり上着を着たり顔を洗ったり、それから口をゆすいだりするのは、神様の前に出る時にそれ程神様に対して、敬けんな願いとか思いと云うものを表す意味なんです。ですからもう御祈念をする、今から御神前に向かおうと云う時には、そういう一生懸命な時には、もう一生懸命に御祈念をさして貰う。それは又大きな声を上げるとか、上げて祝詞を上げるとかとかと云った様なんじゃなくてね。
 もう心をこめて、一生懸命に拝ませて貰おうと云う気持が大事。お話を頂くでもそうです、一生懸命に頂こうと云う気持が大事。その為にやはり、衣服を改めると云った様なことやらは、大事なことになって来るですね。だからそれはね、そういう、いわば印なんです。例えば、ほんなら、私達が、御神前に出る時でも、紋付袴を、例えば脱いどっても、それを付けさせて頂いて御神前に出る。
 だからどうしても、その心がけがその心がそこのところから神様に向かう一心と云うものが出て来る訳です。只拝むからには一生懸命に拝もうと云う、もう御神前に出た時に、それを必ず思わにゃいかん。でなかったらもう無駄です、只形式になったら。又お話を頂くなら一生懸命に頂くと云う気にならにゃやっぱ無駄です。だからそういう例えば思いを一生懸命作らせて頂く為にです。
 袴も履こう羽織も着ろう手も洗ってこう、口もゆすいでこうと云う、その前の姿勢を作る為に、そういう姿勢を作るためなんです。ですから御神前に向かうたら、それこそ槍先で突かれてもと云われる様に、そういう一生懸命なものが、信心には、やっぱ御祈念には、又お話を聞くに当たっては、そういうものが求められる訳ですよね。
   どうぞ。